直感の後付けについて

「気付く」という行為は、
一見すると感覚が鋭い状態のように思えます。

しかし「気付く」は、「既にそこにあるものに後から自分の回路が張り付いただけのこと」です。

「気付く」と言うのは、
同時にそれまで「気付かなかった」ことも指している。
つまり、気付いた瞬間に何かが生まれたわけではなく、
そこにはずっと何かがあって、
身体も空間もすでにそれに触れていた。

ただ、
自分の認識だけが後から追いついてきた。

だから「気付く」を第一にすると、すべてが後追いになる。

身体はすでに反応し、空間もすでに変化している。

それを意識が少し遅れて捕まえ、
「これはこういうものだ」と意味を与えている。

もし「気付くこと」を第一にしてしまえば、
人は常に世界を後追いすることになりましょう。

起きたことを確認し、自分が何を感じているかを確認しながら生きるため、体感そのものが薄くなる。

でも、一般的に重要とされる、生きる意味とは何か?とか、幸福とは何か?を考えることってそれに近いのでは無いでしょうか?

自分の回路が世界を解釈する前に、
すでに世界によって自分が動かされていることを知った上で何をどう先回りするのか。

その領域に触れているとき、
人は世界を理解しているのではなく、
世界そのものと直接接触しているということなのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です