物事において自分の見栄を優先しない人たちは、
人格者だからそうしているというより、
単純に「見栄に支払うコストパフォーマンスが悪すぎる」
ことを知っているのかもしれない。
よく見られるために無理をする。
知らないことを知らないと言えずに話を合わせる。
自分の格を保つために必要のないものを買う。
本当はしんどいのに
余裕があるように振る舞う。
見栄を守ろうとすると、
その瞬間の体裁を維持するためだけに、
その後もずっと余計なエネルギーを払い続けることになる。
そういう一つの選択が、先の永い先まで起こることを察知できる能力があるからこそ、人格者たりえるのかもしれない。
一度大きく見せれば、
次からもその大きさを維持しなければならない。
一度できる人を演じれば、
できない自分を隠す仕事まで増えていく。
つまり見栄とは、
その場だけの出費ではなく、維持費がかかる。
精神的に成熟したから執着が消えたというより、
見栄を維持するために自分の生命力を使うことが、
あまりにも割に合わないと理解しただけなのかもしれない。





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