自分が創造主である話

願望が叶わないと言っている人の多くは、
今ある状況を何とかしたくて、
願望実現について調べ始めるのだと思います。

今の仕事が嫌だから別の仕事が欲しい。
お金がないからお金が欲しい。
今の自分が嫌だから変わりたい。とかね。

ただ、
「世界は全部自分が創造したもの」
というところから考えるなら、

今目の前にある状況も、自分の性格も、
自分が自分だと思っているこの肉体も、
すでに自分が創ったものということになります。

自分がこんな物を望んで作ったはずがないと思うかもしれません。
とはいえ、ここで言う自分とは、
普段「私」だと思っている自我のことではありません。

自我は、起きた出来事に対して、
これは良い、これは悪い、
これは欲しい、これは嫌だ、と判断します。

しかし、その判断より前のところでは、ただ何を自分の世界に出現させるのかを選んでいるだけだと考えます。

例えば、「車が欲しい」と思っている時、
自分は車がない世界にいます。
車がないからこそ、車が欲しいと思う。
つまり「欲しい」と言いながら、
その時点では「それがない世界」
を選んでいることになります。

訳が分かりませんか??

ない世界を選びながら、
あることを望んでいる。
ここに妙なねじれが生まれてます。

だったら、ない状態からどうやって手に入れるのかを考えるのではなく、最初から「ある世界」を選べばいいって話なんですが、

いやいや、ただ選べばいいなら苦労はしないよって思いますよね。

ここで重要になるのが、
今ある現実を否定しないことです。

望んでいない現実があると、
「こんなものを自分が創ったはずがない」
と考えたくなるはずです。

ただ、その良い悪いを決めているのも自我です。

この考え方では、お金を受け取ることも、嫌な出来事が起きることも、「本当の自分」の側から見れば、絵を描く時にどの色を使うのかという違いでしかないのです。
それと同等の評価基準のはずなんです。

赤い絵の具が正しくて、青い絵の具が間違っているわけではない。
ただ、自分がどちらを使って世界を描くのかという話になります。
まあ、もっと言えば、自分がどの色を使えばテンションが上がる、とか、嬉しいとかは、決まってたりはするでしょう。

だから、今の自分が嫌だから別の自分になろうとすると、少しおかしなことになります。自分で描いた絵を見て、「こんなものはダメだ」と破り捨て、また新しい絵を描こうとする。そして出来上がったものが気に入らなければ、また破る。

これを繰り返している限り、ずっと続いているのは「自分の創ったものを否定する」という動きです。先にやるのは、今まで自分が創ってきたものを認めることになりますが、それは賞賛をするでもなく、ただそうであると腹落ちさせるということで。

その上で、次は別の絵の具を使って描けばいい。

故に本当は、引き寄せやメソッドを「身につけなければならない特殊な技術」として考える必要すらなかったわけです。

自分は世界の中に放り込まれて、起きてくる出来事に対応しているだけの存在かもしれないけれど、その世界そのものまで自分の側に含まれていると考えた時、願望を叶えるために外側を必死に動かすという発想自体が変わってくる。

「どうやって叶えるのか」より先に、今見えているこの世界を、誰が創ったものとして見ているのか。それを自分が作っていたと気づいた時、メソッドを超えた、何かを観る行為がスタートします。

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