言葉はアレやけど、理解する脳もないのに、
何でもかんでも言語で理解しようとするのは
あんまりオススメ出来ない。という話。。。
何がダメかって、人は分からない状態に耐えられないので、脳内では無理やり説明を作り始めるという点。ほんで、その説明が実物とズレてても、「一応理解できた感じ」がするから、そのまま信じてしまう。一回それっぽい説明が出来上がると、現実の方を見るんじゃなくて、その説明に現実を合わせ始める。
本当は、まだ分からんだけかもしれないし、そもそも言葉に落とした瞬間にズレるものも普通にある。感覚とか、経験とか、タイミングとか、「そうだからそう」としか言えない領域なんていくらでもある。特に、目で見て、感じて、感じたままにやらなければいけない領域はそう。でも、そういう説明不能なものに対して拒否感が強すぎると、分からないまま置いておくより、間違った説明でも持っていたくなる。これもまた自我です。
いちばん怖いのは、嘘を信じている本人には「理解が深まった」ように感じられることであり、余白を愛せないし、余裕がなくなっていく。余計に世界とのズレが大きくなるが、それも認めたくないので、さらにさらに世界が歪んでいく。言語化は理解するための道具でもあるけど、理解した気になるための道具にもなり得るという話。






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