在り方と道

弓道では
「的中よりも体配や心のあり方が大切だ」
と言われることがあります。

一見すると、結果より過程が大事」という、
よくある話に聞こえます。

しかし、そこにあるのは結果を生み出すためのテクニックというより、因果律そのものに繋がるゲートを生み出すという方がしっくりきます。

具体的にいえば、弓道において体配や射法、心のあり方は、的中と無関係なものとして置かれているわけではなく、正しい身体の使い方をし、正しい射を行い、余計な力みや執着をなくしていけば、その結果として矢は正しく飛び、的に中る。

つまり、「結果よりも在り方を大切にする」ということは、「結果なんてどうでもいい」という意味ではなく、マインドの在り方そのものが、結果を生み出す原因になっている。まあ生み出す原因というより、もっと予定調和的な、因果律的なニュアンスの方が個人的にはしっくりきますが。

たとえば、自分は矢が左に逸れる癖があるから、真っ直ぐ構えるのではなく、少し右を狙おう!これなら一時的には中るかもしれない。しかし、それは射そのものが正しくなったわけではなくて、自分の身体の使い方が間違っているという問題を残したまま、結果だけを合わせている。これはまさに、エゴ(自我)の顕在です。

「中てたい」という意識が強くなるほど、人は今この一本を中てるための調整を始める。少し身体をずらしたりだとか、少し狙いを変えたりだとか、力の入れ方を変えてみたり。

その場では結果が出るかもしれない。

しかし、それを繰り返していると、いつの間にか「正しい射」ではなく「今の自分でも中る方法」を身につけてしまうことに。そこには自分を捨てる、自我を捨てる、執着を捨てるといったマインドの在り方には何もつながらないわけです。

だからこそ、弓道では的中だけを追わないようにされているのではないdせようか?

本当に求めているのは、一本の結果を偶然つくることではなく、正しい在り方から結果が自然に生まれる状態であり、予定調和に繋がること。

むしろ、本当に結果を求めるからこそ、その結果を生み出す在り方を求める、ということなのだと思う。的中だけを見れば、「中れば正解」に見えますが、弓の道で問われているのは、一本を中てたかどうかだけではなく、「なぜその矢が中ったのか」というところまで含めて、自分の射を成立させることである。結果を追いかけるのではなく、結果が生まれるところまで自分を整える。

整うから、予定調和の波に乗り、自然とそうなったの結果に行き着く。

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