代償の法則。夢を叶える覚悟とは何か?

こんにちは、えむです。


最近、なんかつまんねーなって感じてる人、います?
別に苦痛でもないが、かと言って刺激もなければ、情熱もない。


ある程度成功して、満足もした。でも退屈な気分。
そんな人の心にチャッカマン!(ボワッ)


退屈の脱却方法!と言ったら大袈裟だけれど、熱いものがたぎる状態になるための過程ってこれだろう?ってのを話していこうと思います。


一般家庭から成り上がり、ドバイに億物件持ってるような富豪さんと1対1で飲みをしたときにもらった文殊の知恵(一人の知恵)も、この記事でペロっと出すのできっと面白い(断言)。


あと、人を惹きつける覚悟って何か?みたいな話にもなるので、人生版ジャイアントキリングを目指しているヴァイキング系紳士淑女の皆さは、ぜったい目を通しておくように。

(紳士淑女のイメージ)


たぶん今日、読み終わった後、
人生が変わる人もでるだろうと
確信を持ってます。


なぜなら、今回の話は、
代償の法則について話すからです。


何かを得るには、何かを差し出さねばならない。
この言葉、耳にタコができるほど聞いてきませんでしたか。
私も聞きすぎて、耳穴にヒョウモンダコです。


執着をなくせ。
断捨離しろ。
手放したら入ってくる。

どれも近い話だと思います。


ただ、私は最近、少し違う見方をしています。
何かを得るには何かを差し出す、というより、
人が本気で燃える時というのは、
何かと誓約している時なのではないか、と。


しかもその誓約は、現代の法的な契約とは違います。
破ったら面倒、みたいな話ではなく、
破ったら自分の存在が揺らぐ類のものです。


大きな獲得の裏には、
大きな損失や犠牲がある。
これはたぶん本当。

というより人間は、何かを得る前に、必ず損失の計算をしています。

それも、無意識に、
天才的な精度でやっています。

これをやったら傷つくかもしれない。
これを選んだら今の安定が崩れるかもしれない。
これを言ったら、今までの自分ではいられなくなるかもしれない。

そういう演算をして、脳内で怖さと(イメージ)を作る。
そして、その怖さによって、今までの延長線上に自分を閉じ込める。


コンフォートゾーンって、要はそういうことですよね。


人間は、自分のこれまでの輪郭からはみ出るものを検知する能力だけはやたら高い。だから歳を取るほど、猪突猛進が難しくなる。行為の後に何が起きるかを、先に計算してしまうからです。


でも、その演算処理が消える瞬間があります。

完全に覚悟キマってる時であり、それこそ、代償の法則が最大限効いている時。失うかもしれないとか、傷つくかもしれないとか、そんなことがどうでもよくなる瞬間。目先の損得を超えて、気づいたら身体ごと前に出ている状態。

たぶん、人間が、
一番「今、生きてる」と実感する瞬間。
そして一番、大きなものを手にできる瞬間。

だとしたら、今が退屈なのは、そこから大きく離れているからかもしれない。
何も痛くない。何も失っていない。何も賭けていない。だから安全ではあるけれど、火も出ない。


そして、今回の話の核心。
覚悟が決まっている瞬間(代償の法則が1番に発揮される瞬間)は、何によって創り出されるんか?っていえば、何かと誓約をしている時だって話なんです。今回、お伝えしたいのは。


何かを捨てるから、入ってくる状態は、
代償の法則と近いけど違うとも思っています。


その微妙な違いのニュアンスも、
今回の記事を読んでもらえば、わかるはず。


無論、代償の法則の方が、
起きる現象の規模は大きいです。
返ってくるものがでかい。

覚悟が決まっている時
=何かと誓約している時。


さきほど、そうお伝えしました。


その誓約も、現代の法的拘束力を持つ契約とはまた違うんで、少し整理しておきます。


古代メソポタミアでは、契約と神々への誓いがかなり近い場所にありました。
契約の当事者は、約束を破った場合の神罰を恐れ、神々の名において誓約を立てていたらしい。


つまり当時の契約は、単なる利害調整ではなく、
保証人のところに、神という目に見えない存在を置いていたわけです。

保証人として、目に見えない超越的存在を置いている行為。
現代の我々にとって、この感覚は理解し難いかもしれない。


しかし、現代を生きる、
あり得ない基準値で動いている人間。
異様な量をこなせる人間。
何かに深く打ち込んでいる人間。

ああいう人たちは、たぶんみんな、形は違えど同じことをしています。


契約履行がもし上手くいかなかった場合どうなるのか?といえば、存在自体が揺らぎます。だから、超リスキーな訳。なぜなら、存在を賭けるってのは、この程度が出来ない自分なら、生きる価値がないって思わされるレベルだから。



つまり、自分に対して、
神への誓いに近い絶対性を課している

それがあるから、
気分がどうこうではなく動く。

やる気があるからやるんじゃない。
やらないという選択肢の方が、
自分にとって致命傷になるからやる。


それこそが誓約というものだと、私は思っています。


自分で決めたことを実行する意志力。
もちろんそれも大事なんですが、私はそれよりも、そもそも破棄するという発想が立ち上がらない誓約を見つけることの方が、1000倍重要だと思っています。


意志力ってのは、前へ進むために毎回アクセルを踏み込むことです。
でも誓約ってのは、そもそもバックギアを壊しておくことなんですよね。
結果、どっちが強いかって話です。


ココで私が富豪さんに言われた言葉、
そのまま置いときます。

もし、⇩の言葉が勉強になったら、
私の口座に好きなお金振り込んでくださいね。
安心して。半分、冗談です。
(えむ青年と一回り歳上の富豪さんの会話にて
 自分の人生相談の話題になった時・・・)



富豪「どこまでのレベルで豊かになりたいん?」

えむ「えーっと、富豪さん程までは難しくても、
   こんくらいは行きたいっす!」

富豪「君の今の若さがある癖に、今この場面で超マジな顔で、
  「あなたのことは越えるつもりですよ。」って、
  俺に吹っかける気概で言える胆力ないから無理やね。」



言われて思いました。

あぁ。自分って弱い。なんて弱い。

富豪さんと話している間、ずーっとずーっと


「こんなすごい人との出会い、
 ここで終わらせたく無い!」

という、しょうもない気持ちが、ありました。


金魚の糞でいることを自分に許していた。
なんたる自己保身。

おもんない奴の極み。

へのへのもへじ。

もやし野郎。



その時、
自分の存在を賭ける事をやめていた訳で。

目の前にいる人間(富豪さん)は、
自分と平等の時間を生きている人間なのに。


自分が目指している方向の先を行っている人間なのに。
縁があるからこそ、目の前に存在している人間なのに。


そんな相手の前で、
相手を越えることを前提に考えない。たとえ喧嘩になってもええや。くらいの気持ちでぶつからず、超えられるかどうか?すら考えず、ただ憧れちゃってますボクwみたいなスタンスで話していた。


それこそ、相手を舐めてたし、
自分という存在も小さく扱い
今この瞬間に賭けていなかった。


と、ハッとしました。


それは何も、
始めてないってことですよね。
初めから。


そんな場面って、
子種を植え付ける意思がある癖に、
ゴム装着してる男みたいなもんなのかも。
(下ネタごめん)


でも一般的に言うところの
情熱が欲しいけど退屈な状態って、
こんなにバカげた状態なのかもしれません。

とはいえ、
それっぽい言葉をその場で言うのもまた違いますからね。


「覚悟があります!」ってセリフは、プラナリアみたいな神経節3個しかない生き物でも口さえくっついてれば言えることです。いや流石にむずいか。


大事なのは覚悟が
どこに向いてるのか?です。


富豪さんは言いました。

「鞄持ちします!って言うやつ、テイカーやから。何もギブできるものが無いやつが言う最後のセリフが鞄持ち。そいつがくっ付いてくるってことは、会食の時、タダで友達の金持ちにそいつを紹介してやらんといかんの?逆に金クレよw」


どうやら、存在を賭けるってのは、
「あなたにお供します!着いて行きますぜ!兄貴!」
ともまた違うわけです。


まあ違いは何かといえば、期待があるかどうか?じゃないですかね。身を預けさえすれば、あとは良いものが運ばれてくるだろうみたいな、浅い期待。それがあると、存在を賭けるとは違う意味になってしまう。


存在を賭けるってのは、賭けた時点で、もう完了です。あとで何かが返ってくるとか関係ない。因果などない。


なんだったら、「自分は、あなたの良い踏み台になりますよ!」くらいの方が適切な、成長性を持ち合う関係なのかもしれない。



自分より遥かに高みを登った人が相手であろうと関係なく、こいつおもれぇって思わせる極意は、ここにあるんじゃないでしょうか。


「あなたの全てに従事します」じゃなくて、
「自分はあなたにとっての踏み台になれるし、
いつかはあなたを踏み台にしてやりますよ。」
と伝えられるかどうか?


伝え方にリスペクトを乗せるのは大前提にして
ハッキリと宣誓すれば問題はないでしょう。


これをポーカーで例えるなら
腰巾着になるのは、チップリーダーの後ろについて小さく相乗りすること。
本当に賭けるのは、自分のスタックを持って卓に参加し、必要ならオールインできること。
です。


つまり違いは、
単に「大きく賭けるか小さく賭けるか」ではなくて、
自分の賭け金で大勝負しているか
それとも他人の流れに便乗しているか


ジブリ映画「千と千尋」のか弱そうな少女千尋だって、存在を賭けていました。

ただ働かせてくれと願ったんじゃなく、湯婆婆に豚にされること覚悟で、父親と母親を元に戻してやる為に働いてましたよね。人間の尊厳すら取り戻せなくなる可能性を承知で、湯婆婆に勝負ふっかけてたようなもんです。


ここまで話すと、誓約というものがより実態を帯びてきたと思います。


今もし何も熱が入らないなら、


それは能力がないからでも、
情熱が枯れたからでもなく、
今の存在を賭けるかたちで、
何とも誓約していないからなのかもしれません。


それが”凡庸の正体”なのではないでしょうか?


最後に問います。

もし今が退屈だとして

・後戻りできる選択肢だけをとっていないか?
・自分の存在が揺らぐ相手・対象・未来に、ちゃんと触れているか?

ぜひ己の心に、
問うてみて欲しいです。

今、この瞬間に、、、
「まあ面白くなるんじゃね?後戻りできないけど。」
って選択肢は、本当は幾つもあるはずなんです。


たとえばね、このブログ空間で
あなたと繋がれている私えむの場合、

「1年間、毎日記事かいちゃうぞ。」

って調子に乗って、
ここで宣言してみるとか。

あべ。
はい、言ってしまった。

やります。


なので、このブログ記事を、
最後まで読んでくれたあなたに、
今、誓いますね。


NUMENブログは毎日投稿。
クソみてぇなインスピレーションしか降ってこなくても投稿。
上手く書けなくても投稿。

ひたすら届け続ける。毎日届け続ける。
届けることを止めない。
届ける以上は面白いと思ってもらえるものを創る。


これをやります。ちゃんと。


そして安心してください。


今、本当に筆を走らせて自動で書いてしまったものだから、100記事分のストックがある保険掛かってる状態での宣言じゃありません。ゼロからです。


毎日投稿すると言っておいて、もし毎日投稿できない日がありましたら、えむからハーメルンのホラ吹き男と改名いたします。ええ、改名しますが、それはもう、実質引退ということでございましょう。


えむという名前で、マインド面や潜在能力について発信を始めて2年が経過しましたが、今一度、己の発信スタイルというものを刷新していくフェーズだなと感じている次第で。最近は、何も頭のネジを外して無いなと思ってた時期だったし、NUMENというブログを開いて、何を投稿しようか?と、うだうだ考えてたからちょうどいいかも。


とりあえずこのNUMENに来てくれれば、
1日ごとに更新される、オnewでナウい!
えむの脳みそを覗けるわけです。


そんな場所を用意しておくのも
アリだなって思ってるので、ちゃんとやります。


全部読み通せたら、
あなたはもう不思議な力起こせます。きっと。


まあこんな感じで、
始める瞬間は軽いノリでも良いんですよ。


一通でも送ったら後戻りできないメッセージ、
あなたも誰かに書いてみたらどうでしょう?
その人の前でだけは、自分は嘘つきではいたくない。
そんな相手に何かを誓うことだって、今回話した誓約と同じ事です。


ジムに入会!
だとまだ誓約じゃありません。
それは後戻りできるからね。


もし恋人がいらっしゃるなら、「あと○ヶ月でマッチョ、スリムになれなかったら、どうか別れてください。」と、元気に言っておけば良いでしょう。


私にとっても、ここまで読んでくださっているあなたのことは裏切りたく無いので、ノリで書いたにしても貫徹します。ネタがなくなったら「ネタがなくなりました報告」というクソ記事をぶっこむことになるかもしれません。そうなった時は許してください。最大限面白い記事にはしますので。


ゲームの流れ(誓約)
仕掛け、波、転機を作るのはノリでいいんです。
でも、ゲームを作ったからには乗り続けること。


最後になりますが、
変でもいいから、自分から何かに対して誓約を吹っ掛けられる人間が、情熱・覚悟の世界に先に入っていくんじゃなかろうか?という話でした。


誰でもいいから、ぜひあなたも、
誓約をふっかけてみてくださいね!
目があったら勝手に始まるポケモンバトルのように!


この記事は毎日更新されていく訳ですが、
私もノリで、たまに何かを吹っかけると思いますので、
リアルタイムで追ってもらえると面白いことがあると思います。

ということで、
記念すべき1/365記事目です。

毎日投稿の進捗をしっかりみたい方、
ぜひこちらのブログトップページを
ブックマークしておいてくださいね!

えむでした。

ではまた明日m(_ _)m

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