「豊かになりたい」と願っているとき、
豊かな未来を思い描いているつもりでも、
そのたびに「今は足りない」と
確認していることがあります。
なんて話は何度もしてきました。
願いの内容は明るいのに、
願っている身体は緊張していて、
そこを見ずに思考だけを
肯定的にしようとすると、
少し話がややこしくなるのです。
スピリチュアルの文脈では、
これを二元性として捉えます。
欲しいものと、欲しくないもの。
成功と失敗。光と闇。
一方を求めながら、もう一方を拒んでいる。
豊かさを望むことにも、「失いたくない」「貧しく見られたくない」という恐れが混ざる。壁を力で押そうとした時、壁もまた、反発を起こします。
そのように分裂した意識(脳)で光を強く求めれば求めるほど、我々の意識による視界が及ばない背後(無意識と予期せぬ現実)にて、正確に同じ大きさの闇(反作用)が共に鍛造されてしまいます。
認知科学にも、この話と接続できるものがあります。
ある考えを抑えようとすると、
それが出てきていないかを監視する働き。
「不安になってはいけない」と努めながら不安がないかを探してしまうといった、認知的な負荷がかかった状況では、抑えたい思考がかえって浮かびやすくなることが、実験で示されています。
光を求めながら、闇がないかを見張っている。
光だけを見ようとする努力の中に、闇への注意が残り続けるわけです。
これは、願えば同じ大きさの不幸が発生するという法則ではありません。ただ、拒んでいるものとの関係が切れていない。引き寄せを実践するたびに「まだ叶わない」と確かめているなら、その時間に繰り返されているのは、何なのでしょうか。
良い未来に浸れば済むわけでもないでしょう。
理想の未来を肯定的に空想させた研究では、比較条件より、活動へのエネルギーが低下する結果も出ています。想像の中で満たされることと、現実に働きかける力が生まれることは、同じではないようです。
「すでに叶った喜び」を感じる実践にも、この違いは残ります。
そこで、ハートに降りるという話があります。
ハートチャクラを一元性の中心とする霊的実践では、対立するものを胸の中で合一させる、と語られます。欲しい自分も、怖がっている自分も、どちらかを追い出すことなく置いておく。
光を選ぶために闇と戦い続けていたところから、両方を抱えたまま静まっていく。ここでいうワンネスは、まず、その分裂がほどけていく体験として考えられます。
清濁併せ吞むだとか、過去を背負って生きていくだとか、そういうものです。
霊的には、それを感謝や愛に戻る、と表現するのでしょう。ただ、「感謝しなければ叶わない」となると、また自分を監視し始めます。胸に意識を向けても、不安がある日はある。その不安まで消そうとしていたら、場所を頭から胸に変えただけで、やっていることは続いてしまうわけで。。。
空性からの創造という言葉を使うなら、願いも恐れも、固定された自分そのものとして握りしめず、願いはあっていいが、その願いを現実の採点表にして、毎日自分の不足を数える必要はない。





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