抽象度を上げて考えたことを、今度は降ろして表現する。
この「降ろす」という作業について、少し書いてみます。
物事の共通点を捉えたり、広い範囲の繋がりを見たりしていると、具体的な出来事から離れて考えることになります。そこで掴んだ情報を人に話す際には、また具体的なところまで戻ってくる必要がありますよね。
自分の中では繋がっていても、
その繋がりを相手が知っているとは限りません。
どこからその話が出てきたのか、何を指しているのか。普段から抽象度の高い思考に慣れている人同士なら、省いても通じる部分はあると思いますし、それが右脳的な会話の極致とも言えるかもしれません。
ただ、それを誰に対してもやってしまうと、
話が届かなくなるし、世界に何かを伝えたいのに、伝え切れないことが起こる。
右脳がばちばち過ぎると、この”伝える”が難しい場合ってのが結構あるわけです。
自分が見ている風景を説明するにも、
相手が知っているところから話す必要がありますし、
別にそれは視点を降ろしてあげるわけでもなく、ただつながるかんじなのですが。
抽象度を意識的に降ろす。と言えども、それはレベルを下げるわけじゃないということ。
文章にするでも、歌にするでも、踊るでもいいんですが、
内に抱えていた情報が、目や耳で受け取れる形になって、
ようやく人に渡せるようになる。
頭の中にあるときは、
言葉にしていない部分まで含めて分かっているので。
それをそのまま外に出せると思うと、
案外、出てこないものです笑
言語化するなら、例えることは使いやすいですね。
「例えば、こういう場面です」と、相手にも馴染みのある出来事を出してみる。抽象的な言葉では掴めなかった話が、そこで分かることもあります。何について話しているのか、具体的に指せるようになるからです。
ただ、例えるのも意外と頭を使う。
分かりやすい例が浮かんでも、これだと伝えたかった部分が抜けてしまうな、と戻ることがある。似ているところはあるけれど、この話に使うと違う意味で伝わりそうだな、とか。説明を短くしたいのに、例えの補足が増えてしまったりもする。
だから、具体的にすればそれで済む、というわけでもありません。
何を伝えたいのかは残したまま、
相手が受け取れる形にする。
自分の中で一つに繋がっているものを、
言葉にして辿れるようにする。それは逆算力とも言えそうですし、こういったコミュ力がある人こそ、現代のAIプロンプトをうまく扱えるんじゃないか?と思う今日この頃です。
抽象度を下げることで、相手に伝えたい情報の座標も、しっかり伝えられるのです。





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