潜在意識の中にある執着は、
「反対の考えをぶつければ消える」
というものではないのかもしれない。
たとえば、アクティブノイズキャンセリングは
雑音と反対の波を流して音を打ち消す。
しかし心の中のノイズの場合、
「気にしない」「私は大丈夫」「もう過去のことだ」
と反対側の言葉を重ねても、元の感情が残っていれば、
その上から別の考えを被せているだけになる。
むしろ必要なのは、
消したいものと一度同列の
場所に立つということで。
イメージとして近いのは、
乾いて消えなくなった油性ペンの跡に、
もう一度油性ペンを重ねてから拭き取る方法。
固まったインクを、
同じ性質のインクでもう一度ゆるめることで、
初めて拭き取れる状態になる。
執着もこれに少し似ている。
たとえば、本当は誰かを許せていないのに「許さなければならない」と思っていると、自分の中には「許せていない自分」と「許していることにしたい自分」が同時に存在する。このズレがある限り、感情は処理されずに残り続ける。人はこの矛盾構造に耐えられないので、現実世界で何かしらのズレを起こします。
ここで重要なのは、認めることと肯定することは違うという点だ。怒りを認めるからといって、怒りが正しいと言う必要はなく、執着を認めるからといって、それを持ち続ける必要もない。
むしろ、存在しているものを存在していないことにしようとするほど、人はそれを監視し続けることになる。「もう気にしていない」と何度も確認している時点で、まだ気にしている対象を頭の中に呼び戻している。
だから「ごめんなさい」「許してください」といった謝罪の言葉も、認識の後に使うから意味が生まれる。何を謝っているのか、何を許してほしいのかも分からないまま唱えても、言葉だけが表面を通過していく。。。
まず自分の中にあるものと同じ位置まで降りていき、「ああ、自分はここに引っかかっていたんだ」と認識する。その瞬間、それまで無意識だったものが意識の上に浮かび、初めて手放せる対象になっていきます。
認めていないものは、消すことができない。
だから執着を手放す最初の一歩とは、「執着しない自分」を作ることではなく、「自分は確かに執着している」と認められるところまで戻ること。そんな初段階のお話でした。





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