事実があるのはいつだって現実。
現実をみろ、
現実をみろと言われても、
現実を見ようとしない人間に、
事実を知る資格はありません。
そんな現実を見るってのは、
目で見る物ではないのかもしれない。
感じ取るものであり、
身体で骨身に染みるもの。
逆に、世界を見てると思っている時、
私たちは何も見えてないのかもしれません。
たとえば、
一番認めたくないものを認めざるを得ない時。
もう脳が諦めて、身体に思考を明け渡しています。
じゃあどうやって諦めるのか。
考えて諦めようとしても無駄で。
どうやったら諦められるか?現実を見れるか?を考えているうちは、まだまだ余裕があるということで。。
そうではなく、
考え尽くすことで諦め切れるので、
考え尽くして考え尽くして、
気絶するまで考えた時、勝手に脳は諦めます。
そう、脳筋です。
脳の処理を限界まで達すためにどうするか?を考えましょう。
すると自然と身体に引き継がれていきます。
昔の時代には、このリミッターを瞬時に消せる人が多かったようです。
まあ丹田、腹に委ねるということをすぐにできていた人たちが多かったということで。
腹さえちゃんと護っていれば、護ってもらえるということが知られていた時代だったからなのではないですかね。





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