因果って

時間軸もなく、
今この瞬間に全部を包括しているもので。

材料が揃ったら見えるものでもなく、
何も無くても見えるもので。

見ようとしても見れないもので。

考えても見れないもので。

だからこそ、そこに絶対性があるんだと思います。

自我を1mmでも見えたら、見えない以上、
自我を消そうとする意識すらも絶対を削いでしまう。

何もないから絶対で、
何も混じってないから絶対。

絶対性に近い不動性にあるのは、
そういう静寂なのだと思います。

何か法則を見つけるような天才って、
世界の歴史を見ると至る所にいると思いますが
みんな無の中にそれがあったという
パラドクスの衝撃を味わってるんじゃないかなと。

何もないから、
”有”が生まれると。

生み出そうとすると生み出せないのにね。

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