自己侵食のメカニズム


なぜか疲れる?の裏側について。少しばかし話していきます。

私たちは普段、現実の空間にいるとき、
目の前で起こる出来事に対してどこか「受動的」
でいられます。

風が吹き、街の喧騒があり、
物理的な距離があるため、
適度な境界線が保たれています。

しかし、スマートフォンやテレビの画面の前に座った瞬間、その矢印は逆転します。一見すると自分が「能動的に」情報を選んで観ているようですが、実際には、その能動性のエネルギーそのものが画面側のシステムによって吸い尽くされている状態です。

絶え間ない情報、アルゴリズムが最適化した刺激、
他者の人生や意見の洪水。これらに長時間さらされると、
自分の内側にあるはずの静かな空間の境界線がじわじわと
溶かされていきます。

自分がいなくなってませんか?その時って。
だから、現実逃避にはもってこいなのですが、

何が自分の感情で、何が画面から
流し込まされた情報なのかの区別が曖昧になり、
自覚のないまま精神が消耗していく。。。

この
「自分空間の乱れ」が自覚されないまま放置されるとき、
最も恐ろしい現象が起きます。それが「自己矛盾による自己破壊」です。

人間は本来、自分の感覚や感情、
意志が一本の軸で繋がっていることで、
自分を保っています。

しかし、画面に侵食された状態では、
次のような深刻な矛盾が内面で同時に発生します。

「本当にやりたいこと」と「見せられた情報に反応させられていること」の乖離
「こうありたい自分」と「情報消費によってすり減った現実の自分」のギャップ
「つながっているという錯覚」と「圧倒的な孤独感」の同時存在。

これら無数の矛盾が自覚されないまま
心の中に蓄積されると、自分自身を内側から食い潰し始めます。

自分の感覚を信じられなくなり、
何をしても満たされず、
エネルギーの源泉が枯渇していく。


気づいたときには、自分の輪郭が完全に失われ、
他人の価値観やデジタル空間の残骸だけで
自分が形作られていることに愕然とするのです。


だからこそ、まずは「自分空間が乱れている」
という微細な違和感に気づくこと。


そして、画面を閉じ、
現実の静けさの中に身を置いて
境界線を再構築することが、
自己矛盾による崩壊を防ぐための唯一の防衛策となるのです。

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