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書き換えと生命力
- 書き換えを考える際、「誰の方が上手か」という比較には大きな意味がない。
- 書き換えとは、一つの生命現象が別の生命現象へ働きかけることの総称である。
- その働きかけには、その人固有の個性やオリジナリティが反映される。
- テクニックの上手下手は存在するものの、それはあくまで補助的な要素にすぎない。
- 書き換え能力を本質的に左右するのは、技術の量ではなく生命力の質である。
- 状況が変われば通用しなくなる技術だけを集めても限界がある。
- 重要なのは、生命力が凝滞せず、素直に外へ現れていることである。
人にはそれぞれ得意な生命場がある
- 人には、それぞれ生命力を発揮しやすい場が存在する。
- 趣味嗜好、ゴール、Want Toが異なるからこそ、その人にしか果たせない機能が生まれる。
- 自由を感じられる抽象度の高さも、人によって異なる。
- 生命現象度の違いによって、その人にしかアクセスできない世界も存在する。
→これは意識レベルの話と被ります。一定の意識レベルを持っていないと、一定レベルの情報場の情報は手に入れることができない。 - 誰にでも、自分の魅力や力が自然に発揮される場所がある。
- 自分の生命力を制限なく発揮できる場に入ると、書き換えの可能性は大きく広がる。
- 生まれつきの腕前を比べるより、流転する場の中で生命力をどう発揮するかを考える方が重要である。
→今この瞬間に全てが詰まっている。
→自分の道だけを探求するということ。 - 自我を否定する必要はない。
- 自我の性質を逆方向から考えることで、「自分にしかできないこと」を見つけられる。
→陰陽反転の作用。 - 自分の生命力だからこそ可能になる働きかけを究明していく。
諸行無常性とは何か
- 諸行無常とは、あらゆる存在が固定されず、変化し続けているという性質である。
- 身体、心、環境を含む完全な状態は、二度と同じ形では現れない。
- 昨日の自分と今日の自分は、厳密には異なる状態にある。
- さらに細かく見れば、瞬間の直前と直後でさえ、自分はすでに変化している。
- 今いるコンフォートゾーンが最終地点になることもない。
- 一つの状態に馴染んでも、その先には必ず次の階層がある。
- 人も環境も関係性も、常に更新され続けている。
→身体的観点から
人間の身体では、1日に約3,300億個の細胞が入れ替わっている。
重さにすると約80グラムの細胞が毎日失われ、ほぼ同じ量が新しく生み出されている。入れ替わる細胞数の約9割は、血液に関係する細胞。
→心の観点から
一つ得た記憶が、他の記憶にも影響を与えるとしたら、今見ている様々な景色が過去の記憶に影響を与えるとしたら、当時見た記憶と完全に同じ記憶は存在し得ない。
諸行無常と書き換えの関係
- 変化し続けることは、情報空間に存在するものの避けられない性質である。
→だからこそ平等にチャンスがある。
→書き換えの観点では、この性質は大きな可能性を持っている。 - →変化が止まらないということは、どの瞬間からでも更新できるということであり、固定しているのは自我
- 過去の自分と現在の自分が異なるなら、未来の自分も固定されていない。
- 人は常に書き換わっているため、未来もまた変更可能である。
- ただし諸行無常とは、毎瞬すべてが無秩序に壊れるという意味ではない。
- 自我という関数はある程度維持されながら、その関数が認識する宇宙が少しずつ変化している。
- 問題は、変化しているにもかかわらず、同じ抽象度の中だけを循環してしまうことである。
- 状況が変わっているように見えても、同じ考え方や同じ関係構造へ戻っていることがある。
- 本質的な書き換えには、抽象度そのものを更新していく必要がある。
抽象度と空
- 抽象度を下げると、目の前の現象だけに囚われやすくなる。
- その状態では、変化していても同じ階層を回り続けることになる。
- より高い抽象度へ進むとは、複数の現象を包摂する視点を獲得することである。
→脳内でスパークが起きるものを探そうって話 - 抽象度を上げ続けると、最終的にはあらゆる存在を同時に包摂する「空」の方向へ進む。
- 空とは、単に何もない状態を意味するのではない。
- 有と無が対立せず、その境界が失われた状態を指す。
- 諸行無常を突き詰めることは、空へ向かう一つの道筋になる。
Want Toと「今ここ」
- 諸行無常を体現しながら抽象度を上げる鍵がWant Toにある。
- やりたいことを通して世界と関わると、生命力が自然に外へ流れやすくなる。
- Want Toを行う際には、五感を使って現在を十分に感じることが重要である。
- 「今ここ」に徹することで、現在という瞬間の密度が高まる。
- 現在を徹底的に満たしていくと、その奥から「無」の感覚が現れる。
- すべてを有で満たした結果として、無が立ち現れる。
- そのとき、有と無を別々のものとして区別する感覚が薄れていく。
- この境界の消失が、空の感覚につながる。
諸行無常は徹底した「有」である
- 諸行無常は、何も存在しないという思想ではない。
- そこでは、絶え間なく続く情報の流れが前提になっている。
- 常に同じではないだけで、変化そのものは途切れず存在している。
- その意味で、諸行無常は徹底した「有」の世界である。
- 固定された実体は存在しなくても、情報の流れは絶えず起き続けている。
- この流れを拒まずに受け入れることで、空への理解が深まる。
諸行無常度を上げる
- 諸行無常度を上げるとは、変化に対する抵抗を減らすことである。
- 別の言い方をすれば、縁起が作用し、現実として結実する速度を高めることである。
- 固定観念が弱まるほど、情報空間の流動性は高くなる。
- 執着や拘泥が薄れると、関係性や現実の展開も滑らかになる。
- 意識の使い方も硬直せず、その場に応じて自然に変化する。
- 諸行無常度が高い人は、変化を問題として捉えるのではなく、変化そのものを前提に動く。
→頭か?身体か?の違い。 - そのため、一つの状態を守ろうとする必要がなくなる。
→無敵とは何か - 状況の流れに合わせながら、自分の生命力をその都度発揮できる。
→超能力じみた何かしらの状態
Want Toと凝滞
- やりたくないことを続けると、意識の中に固定点が生まれやすい。
→自我ポイント - 自分の意思に反した行動を重ねるほど、生命力の流れは凝滞する。
- 凝滞が起きると、同じ思考や感情の構造を繰り返しやすくなる。
- その結果、現実が変化していても、自分だけが同じ場所に留まることになる。
- Want Toを貫くことは、生命力を流動させるための実践でもある。
→Want toは常に動いている。生命力が無いのは貫かせてないだけ。 - ただし自分だけの利益を追うという意味ではない。
- 自分と他者の双方にとって自然なWant Toを選び続けることが重要である。
→自分だけの物には必ず大きな自我が入り込んでいる。
気を出すということ
- 多くの人は、意識して気を出そうとすることで気が生まれると考えている。
- しかし、気を出そうとする意識そのものが、生命エネルギーを制限する場合がある。
- 本来、生命エネルギーはすでに存在している。
- 必要なのは、新しく何かを作ることではなく、それを遮っている力みを外すことである。
→脱力 - 気が現れたように見えるのは、生命エネルギーを抑えていた制限が減った結果である。
→リミッターを外すと勝手に成る話 - 本当の意味で気を出すとは、気を出そうとしないことである。
→ - 意図的な操作を弱めるほど、本来の生命力が表に現れる。
→
有と無の逆転
- 有と無の境界が消えると、無を突き詰めるほど有が際立つことが分かる。
- 何も足さないことで、すでに存在していたものが明確になる。
- 存在感を強めようとしないことで、逆に存在がはっきりする。
- 生命力を押し出そうとしないことで、生命力が自然に現れる。
- この逆転を理解すると、書き換えは力による操作ではなくなる。
- 自分が直接変えようとするのではなく、変化が起きる条件を整える方向へ移行する。
目指す存在のあり方
- 理想的な状態は、誰よりもそこにいないようで、誰よりも確実にそこにいる存在である。
- 自分の存在を過剰に主張せず、それでも場に深い影響を与えている。
- 表面上は書き換えに関与していないように見えても、実際には変化が起きる条件を支えている。
- 強く働きかけなくても、その存在によって場が自然に変化する。
- 書き換えを直接行う存在から、書き換わりを促す存在へ移行していく。
- 生命力を押しつけず、生命力が流れる場そのものになることが、次の段階である。





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