魔法の極意① 奇跡が意図的になる時の気持ちって

こんにちは。えむです。


唐突ですが、
魔法って使えたらいいですよね〜


あなたはどんな魔法を使ってみたい?


透視能力?予知能力?
サイコキネシス??


まあ魔法って、超能力と変わらないかな。
さらには、奇跡を起こす力とも言えますかな?


そんな、
普通あり得ないことができちゃう力が
自分の中にあったとしたらどうですか?


やばくねえですか?


ワクワクしませんか?


と煽っておいて、今回の話の本筋は
かなり薄味のものになります。


希望とかワクワクから程遠いかも。
でも、きっと効果はテキメン!つけ麺。


魔法に1ミリでも興味がある人は、
ぜひ読んでみて。


魔法がつかえるようになるとは断言できないが、
何かしらのtips、ヒントは置いてるはず。

信じるか信じないかはあなた次第ですが、


現代では解明されていないものの、
確かにある作用、もしくはパワー?

それはどうやったら起こせるんだろう?
と、考えてみることに損はないでしょう。


引き寄せの法則関連の情報ソースからは、
赤ちゃんの時の心を思い出そう!
ってよく出てきませんか?


子供のような純粋な心で、疑いも何もない状態で
何かを信じることで、その通りになるから。と。


これはまあ散々言われますよね。


魔法を扱えるディズニーのキャラ

ピーターパンの台詞からも、
説得力が増します。


あ、これディズニーシーの
アトラクションでのセリフです。


とにかく良かったので、
もし行かれた際は乗ってみてください。


話を戻しますと、
彼はアトラクションの最後、
こう言うんです。


「いつまでも子どものままでいてね」



この言葉の中に、
魔法を起こすための極意があるように思う。


純粋な信じる心を、我々は持っていました。
起こるはずのないことも、起こるだろうと。


で、
「いつまでも子どものままでいてね」
という言葉は、果たして、
子供心をいつまでも持っていてね?

という解釈なのでしょうか。


いやはや、どう頑張っても、
私たちは大人になるにつれ自我が発達します。
腹の底にある汚い部分も見えてきます。


そんな自我と向き合って、
浄化したら魔法を使えるんでしょうか?


自我を潰して、
赤ちゃんのような清らかな心じゃないと
魔法を出すことができないんでしょうか?


そんなの、
いつまでたっても使えないじゃないか。
今すぐつかいてぇ!って思いますよね。


そこで朗報。。。


魔法は別に、自我を潰さなくても、
悟りを開かなくても使えるものです。


私が観測し得る限り、酸いも甘いも嚙み分けてきた後、現実には魔法など無いのだと完全に受け容れた人間から、魔法染みた力が使えるようになっていくんじゃないかと。


それが、今の私が感じる
魔法の極意であります。


で、それはピーターパンの言葉を
否定するものでもありません。


別に我々は、自我が芽生えて汚い部分をもっていようが、自分は自分です。あの幼少期と何も変わらず、時空を隔てているだけで、同じだということ。何が起きようが、変わらず自分は自分だったんだと気づいた時、それは子供のままだという解釈も持てるんじゃないでしょうか?

抽象的過ぎますか?

魔法を起こすのに必要なのは、幼児退行ではないってことです。汚れを消すことでもない。現実を知ったあとでもなお、自分の根っこの感覚を見失わないことによって生まれるのが魔法なんです。


さらに言うと、
(ここは子供心と繋がらないかもしれませんが)
希望を胸に抱いていると、魔法は発動せず、いや、発動したとしても、一時的なポット出現象で終わるんです。


もし、意図して魔法を出したいなら
もっと淡々としていて、
やっている側からしてみれば、
何だか味気ないものかもしれない。


それがなぜか?


己の中にある変わらない根っこから生まれるものが魔法の源泉だから。

難しいかもしれません。

まあここはぜひ、
ご自身で考えてみてください。

AIに投げずに自分で考えてみた方が、きっと、極意に近づけます。


無味乾燥レベルで、興奮から程遠い感覚から生み出されるのが魔法なんじゃないか?と私は思うわけです。これくらいの事が当たり前に、今、起きてもらわんと逆に困る、くらいに。あの乾燥ワカメに、お湯浸したらデカくなるよな。くらいのテンション感で。

とはいえ、魔法を掛ける側は、提供する側として、人に希望を与える側として、最大限、良いことをやってる風には見せてあげる。そうでもしないと、目の前の現象が、ただコップから水がこぼれたと同じ扱いになってしまう。

「今起きたことは、
 コップに水が溢れた時と同じ?!」


魔法を受けた側としては、
奇跡を授かったと感じた側としては
とてもじゃないが受け入れ難い。


味のしないガム程度の現象に過ぎないのなら、
最初から無かったことに!と考えてしまうかもしれない。

それは魔法かける側と掛けられる側
双方にとってwin-winではない。


だから、魔法を掛ける側は、
最大限、パフォーマンスとして魅せてあげる。


あなたが味わったものは、決して、
無味乾燥なものじゃないよと。
魔法だよ。と。


背中を押してあげる。


それによって魔法がより、
世界の中で確定されていく。


でも、魔法を掛けた側の心の内を覗くと、
箸で豆をつまむのと変わらない感覚なのかもしれない。


「この人に魔法をかけてあげたんだ!
 私ってなんて素晴らしいの!」


1ミリも思ってないかもしれない。


もっと言えば、哀しみとか無除感さえあるかも。


そんなリアリストと言いましょうか、何というか、自分が起こした現象に興味がないくらい、起きる現象を特別視しないから、特別な能力が宿るんじゃないか。と思うのです。


しかし、人間は、空に向かって指を向けた直後に雷が落ちてきたら、「もしかしたら自分って魔法使い(雷系)?!」と舞い上がる生き物です。確率そっちのけで、ファンタジーに入りたがる生き物です。でも、もし本当に指さしで雷を落とせる魔法を出せる人がいるとしたら、落っこちてきた雷をみて「うわ危ねえ!」とか言いながら、室内にそそくさと走って行くような、そんなつまらない人間でありましょう。


今回は雑記みたいな記事になりましたが、


最後に。

現象に興味を持てば持つほど、
現象は特別(魔法)ではなくなる
ジレンマがどうやらあるようです。

逆に、現象を起こす自分に酔ったり
変な方向に使うとどうなるんでしょう?

没収されるんじゃないですかね。




ではまた次の記事で!
2/365記事目でした。

次は、呪術廻戦✖︎脳科学の観点から、
いかにして夢が叶いやすい意図を放つか?について語っていきます

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