金持ちが金持ちになる理由の一つに、金を受け取ることが純粋に好きで、なおかつ、その姿を揶揄されても何も感じないという性質があると思う。
この二つは、似ているようで別の能力。
まず、金を受け取ったときの快楽について。
五千円をもらえば、他でいくら稼いでいようが五千円分うれしい。
Amazonギフト券でも、投げ銭でも、紹介料でも同じ。「この程度の金額で喜ぶのはダサい」「自分ほどの人間が受け取るものではない」と、わざわざ価値を”感情”で割り引かない。入ってきた金を、入ってきた金額のまま喜べる。
これは、現実を現実のまま直視するのと似ています。
もう一つ重要なのが、それを揶揄されても何も感じないこと。たとえば、、、Amazonギフト券を受け取れば「アマギフ乞食」。欲しいものリストを公開すれば「物乞い」。投げ銭を受け取れば「信者から搾取している」。知識を有料で売れば「金儲けに走った」。紹介料を受け取れば「人間関係まで金に換えている」。世の中では、金を受け取る行為の多くが、簡単に下品な言葉へ変換される。
しかし、そこで傷つかない人間にとって、揶揄は何のコストにもならない。五千円をもらって五千円分うれしくなり、「乞食」と言われても感情が動かないから、収支はそのままプラス五千円である。だから次も躊躇なく受け取れるし、金が入ってくる経路を自分から閉じない。
逆に、貧乏人が貧乏人であり続ける理由の一つは、
この感情収支が逆転していることにあります。。
金を受け取っても、それほど喜べないんですよ。なぜかって?「がめつい」「卑しい」「金に困っている」と見られることには強く傷つくから。
五千円を得た快楽より、
「乞食だと思われた」という屈辱の方が大きい。
帳簿では五千円増えていても、本人の感情では赤字になる。
こうなると、金を得る行為そのものが不快になる訳です。
欲しいもの欲しいと素直に出さない。投げ銭を閉じる。正当な紹介料も断る。好意で提示された援助を遠慮する。知識を無料で渡す。報酬を請求できる場面でも、「金の話をするのは品がない」と引っ込める。能力がないから稼げないのではない。稼ぐたびに自尊心が傷つくため、神経が稼がない方向へ本人を誘導している。
金持ちになるうえで重要なのは、能力だけではないということ。





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