中毒と、
インスピレーションを追い続ける人のあいだには、
よく似た構造があります。
そういう話を、一旦、書き直してみることにします。
何かの中毒に陥る人は、
ひとつの対象に深くハマりすぎたというより、
むしろ、その対象に含まれる退屈さや停滞、
すぐには意味にならない時間を引き受けられなかったため、
一部分の強い刺激だけを反復するようになっていきます。
過程、バックグラウンド等々、
含蓄があるものがあるか?と聞かれたら
そこには無いと答える。
これは、誰かが生み出した新しい思想や表現、
方法論の、最も分かりやすく高揚感のある部分だけを
次々と摂取する態度と言えます。
まさに”情報ジャンキー”と言っても良いでしょう。
本来、インスピレーションとは、
突然与えられる気持ちのいい刺激ではありません。
何も起きない時間に留まり、
まだ言葉にならない違和感を抱え、
役に立つか分からないものまで受け取り続けた末に、
全体の内部から立ち上がってくるものである。
つまるところ、
脳での思考を突き詰めて、
もはや策ナシだと諦めた途端に出てくる物です。
理性だとかそう言った物を
煮詰めると、脳は諦めます。
思考を手放す過程になる。
それまではまるで地下労働でせっせか汗水垂らして
先の見えない労働をするような感覚にすら陥ります。
しかし、その生成過程に耐えられない人は、
すでに誰かが時間をかけて育て、
意味を与え、理解しやすくした成果だけを求めて移動する。
情報の遊牧民族なのか、
いや、遊牧民族というよりは焼畑に近いですが。
刺激が弱くなれば、
次の人物や思想へ向かう。
そしてまた次の刺激、
次の刺激へと。
これは新しいものを探しているように見えて、ただのループなのです。
多くのものに夢中になっているようで、
実際には何ひとつ深く抱え込めていない。
深く抱え込むというのは、
その対象に真剣になるってことです。
中毒とは没頭の過剰というより、
没頭に必要な退屈を通過できない人が、
即効性のある報酬だけを食べ続ける状態と言えます。





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