需要と結果

最近は「ありのままを受け入れよう」という言葉をよく聞くけれど、受容は自分から起こす行為ではないと思っている。受け入れようとするほど、本当は嫌がっている自分を押さえ込み、受け入れられないことまで抱え込むことになるからだ。

先に必要なのは、拒絶するべきものをきちんと拒絶することなのかもしれません。

自分を否定する考えが出てきたなら、
それを真実として採用しない。

誰かの価値観が自分の内側に入り込んできたなら、
これは自分のものではないと外へ返す。

苦しさを早く治そうとする力が働いたなら、
その介入すら退ける。

拒絶とは、嫌なものを無くそうともがくことではなく、自分の中に入れる必要のないものを見分け、境界の外へ戻すことです。

そうやって、自分ではないものが剥がれていくと、
最後に残るのは、変える必要のない自分そのものになる。

そのとき、受容しようとする努力はもう必要ないというか、拒絶するべきものがなくなった結果として、自分は自然に自分の場所へ戻っている。受容とは、何でも抱えることではなく、抱えなくていいものを拒み切ったあとに発生する空間なのかもしれません、

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