情報と遮断

誰かや何かの信者になった時。
推し活とかも流行っているが。
もはやそれが当たり前の時代。

その瞬間、その時間は誰の人生になるのでしょうか。

自分の人生を放棄しているとも言えるやもしれません。

誰かが放った言葉にマーカーを引くこと。
お気に入りの小説のフレーズを覚えること。
誰かがXで呟いた投稿をブックマークすること。

それを読み返すことも、

自分と向き合う素材には
なるかもしれない。

しかし、
自分と向かうことでもないし、
自分を整えることでもない。

何かをやっているつもりの
最たる瞬間かもしれない。

「真実を知りたい」
理由で何かを見漁っている瞬間。

誰かからもらおうと思った時点で、
また真実から離れるかもしれない。

情報の収集って何でしょう。

私は何もかも遮断した瞬間こそが、
情報の収集な気がします。

自分の感覚だけが頼りになる瞬間。

逆に言えば、
ネット上で情報を拾うと言う行為は
世界が見えているのに、
優秀な盲導犬を引き連れているような。

そんなちぐはぐな行為なのかもしれません。

人は、ちぐはぐが好きですよね。

ちぐはぐをしないと、ストレートな近道に入れない。

あなたの思う情報が情報なら、
既にあなたは欲しいものをえているはずで。

得ていないなら、それは何のための情報なのか。

空気を掴んでいるようなものかもしれません。

スマホ上に確かに表示されていて存在している気がする文字も、
あなたが遮断した時に得た情報と比べたら空気かもしれません。

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