邪気の方が引き寄せは強くなる

邪気のほうが、引き寄せは強い

スピリチュアルではこんなことがよく言われます。

「良い気分でいれば、
 良い現実を引き寄せる」

ただ、ここでいう「良い気分」
が本当に正気なのかは、かなり怪しい。

それは、邪気に近いかもしれない。

そんな話を今回はしていきます。

嫌なことが起きても
「これはきっと良いことの前兆」
と意味づける。

不安が出てきたら
「ネガティブになってはいけない」
と押し込める。

怒っているのに感謝を探し、
怖いのに「私は大丈夫」と唱える。

一見するとポジティブだけれど、これもかなり邪気に近い。

なぜなら、その奥には
「この現実であってほしくない」
という強い拒絶があるからだ。

現実を歪ませている訳で、
その裏側にある感情そのものは正気とは離れている。

邪気というと、普通は恨みや嫉妬、
復讐心のような黒い感情を想像する。
けれど、本質は感情の色ではないんです。

自分が見たい世界へ
現実をねじ曲げようとする力、
そのものが邪気だということ。

「あいつを絶対に見返す」も、「私は絶対に幸せになる」も、構造だけを見れば案外よく似ている。どちらにも「こうでなければならない」という一念があり、その一念が現実の見え方を決めていく。

だから邪気には引き寄せる力がある。

一念とは、かなり強い執着であると同時に言えるからです。

人は執着しているものを何度も見る。

無数の情報の中から関係するものを拾い、
出来事に意味をつけ、選択をそちらへ寄せていく。

やがて本人からすると、
「必要な情報が次々と現れた」
「不思議な出会いが続いた」
という体験になる。

これは復讐心でも起こるし、成功への執着でも起こる。

そして、「絶対に波動を下げてはいけない」
というポジティブ信仰でも同じことが起こる。

つまり、ポジティブだから邪気ではない、とは限らない。

むしろ過剰なポジティブさほど、一念が強烈な場合がある。

幸せでなければならない。成功していなければならない。宇宙を信頼していなければならない。悪いことを考えてはいけない。

そこまでいけば、
ポジティブという衣装を着た執着でしかない。
それは正気ではなく、邪気である。

その気における引力はやはり強い。

ここで面白いのは、「引き寄せ」という現象を考えた時、本人が世界を引き寄せているのか、本人のほうが一念に引き寄せられているのか分からなくなることだ。

復讐に生きる人は、
人生の中心にずっと敵がいる。

同じように、「幸せにならなければ」
と生きる人の中心には、
ずっと「不幸になってはいけない」という恐怖がいる。

表面では正反対に見えるけれど、
どちらも一つの対象から離れられなくなっている。

現実を良い方向へ解釈することですらない。

目の前にあるものを、別のものへ変換しなければ見ていられない時点で、すでに何かに囚われている。

邪気が強いのは、悪い感情だからではなくて、一念があるから強い。

そして一念は、怒りにも、欲望にも、善意にも、ポジティブさにも宿る。

むしろ「私は正しい側にいる」と思っている一念ほど、自分では執着だと気づきにくい。

黒い邪気より、白く塗られた邪気のほうが見えにくい。

引き寄せを考えるなら、何を願っているかよりも先に、その願いによって自分がどれほど拘束されているのかを見る必要があるかもしれません。

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