覚悟とは、って話、NUMEN最初の記事でも書きましたが、また覚悟について少し書いていきたいと思います。
覚悟とは、自分が正しい人間であるかどうか?を考える判断軸を手放すことにあるんじゃないでしょうか。
何かを本気で追いかけ始めると、
必ず自分の行為を説明したくなる瞬間が来ます。
なぜそこまでやるのか、
なぜその選択をしたのか、
なぜ誰かを傷つけてまで進むのか。
で、それは正当化に近い。
何かを選択して起こした結果に対して、
自分は悪くないと思いたくなるほど、覚悟は鈍ってます。
本来なら目の前の現実を見て
次の一手を決めればいいはずなのに、
自分の選択が正しかったと
証明するために過去を振り返り始めているから。
すると判断は、目的に近づくためのものではなく、
自分の姿を守るためのものに変わっていきますよね。
覚悟みたいなものって、
ここで崩れると思います。
なぜなら覚悟とは、
善悪を超えた先にあるものだから。
とはいえ、善悪を超えるとは、
何をしても許されると思うことではありません。
自分が選んだことによって、
誰かが傷ついたなら、その現実は残りますし、
目的を達成したから消えるわけでも、
苦しかったから軽くなるわけでもないです。
それでも進むなら、自分を正当化せずに、
その結果まで自分の人生に含めるしかない。
覚悟は、決断した瞬間には現れません。
自分の選択によって生まれた現実が、
思っていたよりも醜かったときに、
それでも選んだ主体であり続けられるかどうか?
で覚悟の強さは決まるからです。
すべてを失ったと思っても、
残った自分が次に何をするかという問題は消えない。
そこで立ち上がれる人間は、
希望を持っているから強いのというより
自分の人生を、結果に預けていないからそうなだけで、
結果に身をどこまで預けないか?ってところと、覚悟は深い関係性があるのではないでしょうか。
成功したから信じるのでも、失敗したから捨てるのでもなく、自分が何に命を使うのかを自分で決めている。その決定がある限り、失敗は終わりにならない。条件が変わっただけで、次の一手はまだ残っているわけで。正しい人間として理解されることを諦めたあとも、自分が選んだものから降りず、そこから生まれた現実を引き受け続けることと言えるのでは。






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