燃えさかることの美しさについて

満たされた欲望は止まります。
石炭を燃やし切れば炎が消えるように。

ほとんどの人間は欲望を社会に合わせて削り、
妥協し、薄めながら生きていく。
だから行き過ぎずに止まれて終われる。

しかし心に開いた穴が埋まらない者は、
欲望が常に全電圧で流れ続けているような状態で。

その無妥協な強度というのは、
嵐を美しいと呼ぶ時の理由と同じだ。
執念を、狂気を美しいと感じる時の理由とも同じでしょう。

美しいものは基本的に掴めません
止まらないから掴めない。
満たされないから終わらない。
終わらないから現役、野生のまま存在し続ける。

しかし、結末というのは既に見えているんです。

いつか炎は自分ごと全てを焼き尽くすと。

しかし滅びが見えているからこそ、
今燃えているものは美しい訳で。

我々もまた生きている訳ですが、
滅ぶ自分までが見えるでしょうか?

明日も優に生きられるだろうという
無意識な安心が存在していると、
そこには狂気が宿りにくい。

滅ぶ状態と、燃えている状態はセットなのです。

もし滅ぶ状態がリンクしてない生き方ならば、
それは燃え盛っている状態からは程遠い。


8月27日は
こちらの記事をリライトいたしました。

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