「これじゃない」という違和感は、
不思議な感覚じゃないか?という提唱。
何が間違っているのか説明できない。
では何が正しいのかと聞かれても、
まだ言葉にはできない。
それなのに、
「違う」ということだけは
はっきり分かっている。
考えてみれば、これは少しおかしいのでは?
正解を知らないなら、
本来は目の前のものが正解から
ズレていることも判断できないはずだから。
何かを「違う」と感じられるということは、
比較している基準が自分のどこかに
既に存在しているということでもある。
ただ、その答えはまだ言葉になっていない。
だから違和感の正体を探すとき、
私たちは新しい答えをゼロから作っているというより、
既に知っているものの輪郭を少しずつ取り戻しているわけだ。
「ここが違う」「これも違う」と削っていくたびに、
まだ見えていなかった答えの形だけが残っていく。
そう考えると、違和感とは迷いとは
全く異なる性質をもつ感覚であるといえる。
むしろ、自分の中に既にある答えが、
今目の前にあるものとの
ズレを知らせている感覚なのではないでしょうか?
自分の答えを見つけることは、
知らない場所へ進むことではなく、
知っていたはずのものを思い出す作業とも言えそうです。
正しいと思う感覚より、違和感の方が、
自分の輪郭を浮かび上がらせてくれるのではないでしょうか?
そんなお話でした。





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