錬金術におけるニグレドについて。

何かを本当に変えようとすると、先に起きるのは、たぶん「新しいものがやってくること」ではないという話。

錬金術では、変容における最初の段階をを”ニグレド”黒化と呼んでいます。一般的には、自我の崩壊みたいなニュアンスの段階です。ただし、これを「人生がしんどくなる時期」とだけ捉えると少し違う。

ニグレドで焼かれていくのは、苦しみそのものというより、自分が今まで持っていたイメージのことです。自分はこういう人間だとか、人生はこうなるはずだとか、この人とはこういう関係だとか。そういう、今まで世界を見る時に使っていた形が、だんだん使えなくなっていく。

今まで使っていたものが通用しないと突きつけられる感じですね。最後には、何を信じていたのかもよく分からなくなる。錬金術でいう「黒化」は、そこまで戻ることなんだと思ってます。

まだ名前も形もついていないところまで、一度戻される。
だから途中で、急いで意味を作らない方がいい。「これは成長のために起きている」とか、「この苦しみには意味がある」とか、そうやって明るい方へ持っていくのも、場合によってはニグレドから逃げることになる。

かといって、絶望の方に全部飲まれてしまうのも違う。
やることは、見ることです。
黒くなっているものを見る。
同時に、その中にまだ残っている光も見る。
どちらかを正しいことにしない。

とはいえ、人は苦しくなると、どちらか一方へ行きたくなります。

全部終わった、と思いたくなる時もあるし、逆に「きっと大丈夫」と早く明るい答えを作りたくもなる。その二つを、しばらくそのまま置いておくということ。まあこれがむずい。かなり居心地の悪い状態であるし、人は待ち続ける状態を維持するのが何より難しいから。

でも、錬金術では、この対立がすぐに解消されずに残っている時間が大事になります。

黒いものと白いもの。壊れていくものと、これから生まれるもの。
その両方が同時にある。循環のように。

どちらかを消さずに見ていられるようになると、少しずつ片方が片方を映し始めます。
「あれほど嫌っていたものの中にも、自分がいた」
「光だと思っていたものにも、かなり自分の都合が入っていた」
そんなふうに、今まで分けていたものが、少し違って見えてくる。

ここからアルベド、白化が始まります。白化というと、急にきれいになったり、癒されたりする感じがしますが、たぶんそんなに派手なものではないです。黒いものを排除した結果、白くなるわけでもない。

黒さも光も、どちらかに肩入れせず見続けた結果、少しずつ濁りが落ちていく。
その中間の時間があります。
まだ完成していないし、救われた感じもしないのだが、以前みたいに黒さだけに飲まれることもなくなっている。

自分が無理に答えを作らなくても、両方を見ているうちに、それまで結びつかなかったもの同士が勝手につながってくる。

そして、そこからルベド、赤化に入る。新しい自分を頭で設計するというより、気づいたら以前と違う選び方をしている。前なら執着していたものに、もう同じ熱量を持てない。逆に、前なら見えなかったものが普通に見えるようになる。みたいなね。

再生は、たぶんそういうところから始まります。
ニグレドでは、古い像が焼かれる。
アルベドでは、黒と白を分けていた見方そのものが少しずつ変わる。
そのあいだには、何も解決していないように見える時間がかなりある。

でも錬金術では、その時間を飛ばさず、逃げずに見ることが求められる。黒さにも、光にも。そこから次のフェーズが始まるということ。

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