自分は別に、すごくなくていいという話をします。
それを「自分の才能」や
「自分の功績」として所有すること。
そもそも、考えも言葉も、
本当に自分だけのものなのでしょうか?
たまたま自分のところに流れ着いて、
たまたま自分の言葉を通して
外に出ただけ。
身体を通して外に出しただけ。
かもしれない。
なら、それを受け取った人が
遠くまで行けばいい。
自分の発したものを使って、
自分より大きくなってもいいし、
自分には見えなかった景色まで
辿り着いてもいい。
最初から何も所有してないなら、
パクリも盛大にどうぞどうぞしてみるといいです。
実際に残るのは、
誰が所有していたかではなく、
何が次へ渡ったかで、渡った先で何が起きたか。







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