不感症 8/27 追記

人は、自分がいる場所と
意識が向いている場所が
大きくズレたままでは長く安定できません。

身体は部屋にいる。目の前には机があり、空気があり、生活がある。けれど意識だけが別の場所へ行き続けていると、現実の空間との接続が薄くなる。今ここにいるはずなのに、どこにも落ち着いていないような感覚が生まれる。

これを内的空間の乱れとも言うし、
自律神経の乱れとも、不感症ともいえる。

少しばかし、脳科学の話をすると、デフォルトモードネットワークは、人が何もしていない時に活性化する回路なのですが、

過去を反芻し、未来を計画し、他者の心を想像する訳です。

この回路が適切に働く間は問題ないでしょう。

しかし意識が現実から完全に離れ、
身体との接続を失った状態で稼働し続けると、
やがて現実そのものが遠のいていきます。

現実に伸ばした触覚ではないところから情報を引っ張ってくる訳で。

この状態が苦しいのは、単に集中力が切れるからではない。身体は現実に戻ろうとしているのに、意識は戻る場所を失っているからだ。

帰る場所のない漂流が、
内側で静かに続いている。

現代人にはこのような人がとても多いのではないでしょうか?

もはや、大半がこの状態なので、おかしいとも言えなくなりましたが。

人はその自己矛盾に耐えることができないんです。

身体と意識が乖離した状態は、神経系にとって解決不能な矛盾だ。

身体は現実に戻ろうとするが、
意識は戻る場所を持っていない。
この二つが同時に正しいため、
どちらに従っても解消されることはない。

系は常に均衡を求めるのですが、
均衡への道が塞がれている時、
系は修正しようとし続ける。

その修正の試みが止まらないこと自体が、
消耗であり苦痛です。

修正している状態にいるということは、
完成形とは違う自分がいる事の証明に他ならないから。

矛盾が苦しいのではなくて、
矛盾が解けないことが苦しいわけで。

だから最後には、現実が退屈なのではなく、現実を感じ取る自分の輪郭がぼやけていく。何かを見ても、誰かに会っても、どこか膜越しにしか感じられない。感情が動いているはずなのに、その感情がどこにも着地しない。

それが現実の不感症ということ。

ほいで、この状態が最も引き寄せから遠いということ。

なぜなら引き寄せとは、
目の前にあるものへの完全な接触から始まるからだ。
膜の中にいる人間には、女神も夢も声をかけようがない。
マトリックスのかつてのNEOのような状態。

不感症の状態では、何かを求めていても、その求めが自分の内側を回るだけだ。

外に届かない。外に届かないから、外から何も返ってこない。欲しいものを思い続けても、その思いは自分の膜に跳ね返って戻ってくる。

引き寄せが起きないのではなくて、
自分だけを引き寄せ続けているに近いか?

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