人生の前半は『与えられたもの』で成功を作り、
後半は『積み上げたもの』で成功を作るもの。
もちろん後者も、才能や環境、人との縁など、
前者の影響を完全には切り離せない。
それでも「これは自分でゼロから積み上げた」
と思えるものが一つあるだけで、かなり違う。
全部失っても、また作れる。
場所が変わっても、もう一度立てる。
そういう感覚が残るから。
究極、銀行口座が0になっても、
別に何か不安になるとかもない。
逆に、何かを手にしているのに妙な不安が消えない人は、
まだ『与えられたもの』の比率が大きいのかもしれない。
自分で再現できる感覚が薄いから、
失うことがそのまま終わりに見える。
再現できない、アテにならない。
でも、手放したくないポイントにいる。
そっちの方が、もしかしたら生き地獄かも。
貧乏人には金の稼ぎ方
金持ちには銭の守り方が売れる。
なんて話もあるが、、、
では、自分で再現できる感覚はどこから手にできるのかと言えば、
「そもそも自分は、何で身を立てたかったのか」
を一度考えてみるといいかもしれません。
評価でも、肩書きでも、金でもなく、何をやっている自分なら納得できるのか。自分はどの立場にいないと、気が済まなかったのか。本当にやりたかったことに熱中している時間だけは、不安の方がこちらに追いついてこないし、不安そのものすらも燃料になり得るから。
それと関連して、以下の文章、とても参考になると思いますのでぜひ
坂本龍一「アートの価値というものは、『誰かにとって意味があるから存在価値がある』というようなものではないとぼくは思っています。ある人にとって、『それをやらざるを得ない』、『それを作らないと自分とは思えない』ぐらいに何かを作りたいという衝動があるから作るわけです。それをアートと呼ぶか、そこにどんな価値を見出すかは本人には関係ない。ましては、それがいくらになるかなど関係ない。アートの有り様とは本来そういうものだと思います。例えば草間彌生さんを見るとよく分かります」
自分がその場でそれをやるしかない、のであれば、そこに流れてくるどんな感情も燃料に、素材になるんです。不安は不安として、ただのコルチゾール要因として扱われるだけのものでもないし、悲しみも、怒りも。






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