自分と向き合う 9/14追記

「自分と向き合うことが大事」とよく言うけれど、
本当にそうでしょうか???

本当に必要なのは、
自分の思考の外に出ること。そんな話について。

たとえば、自分と向き合っているつもりでも、その自分を観察するために使っている道具が、いつもの思考そのものなら、結局は同じ場所をぐるぐる回ることになる。

「なぜ自分はこうなったのか」であったり「何が原因だったのか」など。いくら深く掘り下げても、その問いを立てているのも、何を原因として採用するのかを決めているのも自分である。

たとえば、見捨てられることを恐れている人は、過去を「見捨てられてきた物語」として読み直すでしょう。自分には価値がないと思っている人は、価値がなかったことを裏づける記憶ばかりを拾い集めるて、次はどんな価値のない状態が生み出されるのか?を考えるでしょう。

原因を探しているようで、
実際には最初から持っていた結論に合うように、
過去を並べ替えているわけです。

しかも内省を続けるほど、
その説明は精密になっていく。

「なぜ自分がこうなったのか」を以前よりうまく語れるようになり、それを自己理解が深まったのだと錯覚する。だが、同じ思い込みを詳細に説明できるようになったことと、その思い込みから抜け出したことは別である。

牢屋の壁を調べ、材質を知り、鍵の構造まで説明できるようになっても、まだ牢屋の中にいることには変わりない。ずっと同じ円を回り続ければ、しまいにはバターになる。

自分について考えている限り、自分の前提はなかなか見えてこない。なぜなら前提とは、考えている対象ではなく、考えるときに立っている足場だからだ。その足場の上からどれだけ遠くを眺めても、足場そのものを見ることはできない。

一度、自分の考え方が通用しない場所まで出てみなければ、そういった足場は見えてきません。自分が当然だと思っていた因果関係も、性格だと思っていた反応も、変えられない過去だと思っていたものも、その外側から見れば、ただ繰り返し採用してきた一つの見方にすぎないことがあるでしょうが、そういう足場ってのは、どうやったら得られるのでしょうか?

ただ一つ言えるのは、自分の中にある正解が正解じゃなかったと、ひっくり返る体験をする事なんじゃないでしょうか。

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