「手で書くと考えが深くなる」という感覚は、
なんと科学的に証明されてると言う話。
少し話は飛びますが、
世界には、非常に速く話される言語もあれば、
比較的ゆっくり話される言語もある。
しかし興味深いことに、
言語ごとに発話速度はかなり違うのに、
単位時間あたりに相手へ伝わる情報量は、
ある程度似た範囲に収束するという研究があります。
つまり、人間は言葉そのものを高速化することはできても、
「意味を受け取る速度」まで無制限に高速化できるわけではないかもしれない。
脳が情報を意味として処理し、
理解するためには、
それなりの時間が必要で。
これを「考えること」に置き換えると、
手書きの遅さにはかなり面白い意味が見えてきます。
タイピングは速いですよね。
慣れていれば、頭に浮かんだ言葉をほとんどそのまま画面へ流し込めるし、予測変換まで次の言葉を補ってくれる。だから、頭の中でまだ十分に咀嚼されていない考えであっても、それらしい文章として先に完成させることができてしまう。
すると、「考えたから書いた」のではなく、
「書けてしまったものを、
自分が考えたことだと後から認識する」
という逆転が起こるんです。
いわば、思考そのものより文章生成のほうが先に走ってしまう。
しかし、手書きでは、この追い越しが起こりにくいですよね。
一文字ずつ書かなければならないので、
どうしても出力速度に物理的な制限がかかる。
そして、そのわずかな遅さによって、
次の言葉が出てくるまでに小さな空白が生まれる。
その空白の中で、「本当にそうなのか」
「もっと正確な言葉はないか」と、
まだ文章になっていない感覚へ意識が戻っていく。
だから手書きは、
単に不便な入力方法なのではなく、
思考が言葉に追いつくための装置なのかもしれません。
効率化によって増えるのは、
必ずしも思考ではないし、
文章を大量に作れることと、
深く考えられることは別物で。
むしろ本質的なことを考えるときには、
脳より先に言葉が走ってしまわない程度の
「意図的な遅さ」が必要なのではないでしょうか?
AI出力って一瞬ですが、
それによって良いアンサーがもらえた時、
我々はドーパミンがでますよね。
さて、それってYouTubeのショート動画や
ティックトックでスワイプしているのと、
もしかしたらそんなに変わらないのかもしれません。
脳みそが短時間報酬に慣れる。という意味において
AI生成とショート動画スワイプは同じなのかもしれない。だからこそ深い余白に入り込む時間って大事なんじゃないでしょうかね。





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