こんにちは。えむです。
今回は、気とは何だろう?
という点に着目して参りたいと思います。
基本のキなのですが、気とは情報である。
という前提をまずは押さえてみてください。
情報というのは、イメージでもあり、
実在しないが存在するものです。
わかりやすい話、
会話で交わされる言葉というのは、
目で見ることはできませんが、
確かにそこに情報はあるんです。
その言葉一つで、
誰かを奮い立たせることもできるし、
絶望に突き落とすこともできる。
また、もしあなたの大好きな人が
丹精込めておにぎりを握ってくれた時、
明らかに、コンビニのおにぎりとは違う
情報が乗っかっていると感じますよね。
言葉はただの情報じゃん。
と思われるかもしれません。
しかし、同じ言葉を話しても、
納得しやすい人、逆にしづらい人。
分かれると思います。
その間にあるのは何でしょう?
情報という側面だけで見ると、
確かに同じですよね。
「愛してる」
その一言で、相手が全てを包み込まれたような感覚にさせることも出来る一方で、何も感じずただ右から左へにしかならないこともある。
その間にあるのは何でしょう?
声のトーン?
声の大きさ?
それともハンサムさ?
きっと違いますよね。
何をいうかではなく、
誰がいうか?という諺ありますが、
それを深めていくと、
何の気を乗せているか?
だと思うのですよ。
気とは情報と言いましたが、その情報というのは、エネルギーを持つ情報です。ただ脳の貯蔵庫に入ってる知識とは違うものです。
自己の経験から、「(なんとかなったから)大丈夫だよ」と伝えるのと、「(そのマニュアルさえ見ておけば)大丈夫だよ」の間にある、エネルギーの密度というのは全く違います。
言葉に重みがある。という表現もありますが、
それは、気というエネルギーを
どれだけ込められているかどうか?
有益な情報を伝えたから、気というエネルギーが沢山こもって、言葉が重くなるわけではないのがまた複雑で。
知識をどれだけ持っていようと、
言葉に乗せる気を大きくするわけじゃ無いのです。
気とはエネルギーである以上、循環するものですから、言葉を放つ相手をちゃんと見ていないといけません。逆に言えば、そこに循環さえ生まれてしまえば、権威があるかどうか?一流の機材が揃ってるかどうか?など関係なく、全てが変わることがあるのです。
昨今はオペレーションの効率化目的で、病院に通っても、ただ薬を処方される為だけの簡易的な診察により、ほんの数分で終わる。みたいな話はよく聞きますが、そこに気というものは介在していませんよね。イメージつくでしょうか?
では、気が介在する場とは何か?
私の知り合いの話にはなりますが、
彼女は治療法が見つかっていない難病に罹ってしまった時、有名な大学病院を何件も周っていたそうな。しかし、効果がない。むしろ、「もっと早く来てくれれば。」というお医者さんの言葉から、自分が悪いことをしてる気にもなってしまって、回復する兆しが見えなかったので、もう病院周りはやめたそうな。そんな中、直感で気になった全く有名でも何でもない小さな古民家風の診療所に行き、そこのお爺ちゃん先生から、「辛かったね、頑張ったね。」と一言いわれたそうなのです。すると、不思議なことに涙が自然とポロポロと落ちてきたと同時に、自分の病が治る確信が生まれ、ほんの2週間で、特にお薬を飲むわけでもなく難病が回復した。
この話の中には、
気という存在が巡っています。
この話に出てきたおじいちゃん先生が、
気の使い手だったとか、
そういう話でもなく。。。
このお爺ちゃん先生は、その時、相手をちゃんとみて、相手の存在にちゃんと言葉を投げただけなんだと思います。
今まで行けるだけの病院を巡ってきたんだろう。
それまでの間、とても大変な思いをしたんだろう。
たくさん耐えて頑張った時間があったんだろう。
そんな情報を、お爺ちゃん先生は読み取ったから、
相手が一番欲しい言葉を投げられたんでしょう。
その言葉が魂の琴線に触れて、自然治癒力の鍵が開く結果になったのかもしれません。
”相手をちゃんとみる”
それは簡単なようで簡単じゃないってのは、
ここまで読んでくれている方ならわかると思います。
相手を、今まで出会ってきた人間データ参照をし、この人はこういうタイプだろうな?という先入観を持ってしまった時、それは果たして相手を見たことになるんでしょうか。きっと違いますよね。ただし、人はパターン把握で脳内処理のコスパをよくする機能が実装されている以上、意識していないと、あいてを見るからどんどん離れていきます。
では、先入観なしで相手を見るとは何なのか?
それこそ、”今この瞬間、この場で出会った人との間にある縁起を見る”ということなんじゃないかな?と思うのです。今目の前にいる人と出会えたことは、単なる流れでもなくて、意味があるからこそ、お互いのやり取りの中にある意味を見出そうと思う姿勢。そこに気が乗りやすい構造があるんじゃないでしょうかね。
気を扱うのに、技術テクニックはあるでしょうが、最終的には、今この瞬間を当たり前と思わず、感謝できるくらいの解像度で世界をみれるかどうか?なのだと思います。
今、このブログを読んでいるあなたも、どんな巡り合わせでここに辿りついて読んでいるのか?考えてみると、気を感じ取れるかもしれません(。ì_í。)
ではまた明日!
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